あれから四半世紀プラス1年
今でも阪神淡路大震災の日の朝は鮮明に覚えている。
それは1995年1月17日午前5時46分のことだった。
その少し前の日から関東周辺や東北地方でも地震が頻発して、本格的に関東大震災が来るかもと心配していた時、朝の突然の搖れで目が覚めた。
僕の自宅は11階なので少しの揺れでも感じやすいのだ。
急いでテレビをつけるとなぜか近畿地方の地図が。
「あれ?」と言うのが第一印象だった。
実は関西で大型地震があったと言うことで、その揺れが東京で感じたのかと思うとびっくりした。
テレビで次々紹介される映像も驚きだった。
高速道路がなぜ崩れるの?このビル完全に倒壊している!
永田地区では延々と火災が広がっているなど、何が起こっているんだと信じられない世界だった。
大阪本社の会社の同僚から聞くと、現地を歩いているといたるところでビルが崩れていて、平衡感覚がおかしくなってまっすぐ歩けなかったそうだ。
その日から四半世紀プラス1年の26年も経ってしまった。
今では震災を知らない人が半分もいる時代になっているそうだ。
この記憶、風化させてはいけないはずだ。
お亡くなりになられた方々のご冥福を再びお祈りいたします。
さて、今回も四柱推命で震災の起こった当日の命式を観てみた。
日柱「戊申」月柱「丁丑」年柱「甲戌」で時柱が「乙卯」だった。
月柱の丁はまさに火の象徴である。
でも薪になるものがないと火は燃えないのだが、「乙卯」「甲」は木行なので薪は3つある。
また土行は「戊」「丑」「戌」の3つである。
残る一つは金行の「申」。
このイメージを想像すると、土が崩れて、火が燃えだして、金属というビルを溶かしたとも考えられる。
月柱の地支である「丑」は土行だけど、水を含んだ土であり、しっかりした硬い土ではない。
だから崩れやすかったのかもしれない。
関東大震災の場合は日柱が「丁丑」であった。
そして東日本大震災の場合の日柱は「乙丑」だった。
そう考えると柔らかい土をイメージする「丑」の月や「丑」の日などは地震が起こりやすいのかもしれない。
さてさて2021年は実は年柱として「辛丑」になる。
東京五輪ができるかどうかの時期にもし地震でもあったら大変だ。
火の力が強くなる6月あたりって少し心配だ。